林先生のお話の中で、私の印象に残ったものをいくつか上げてみますと、
①中国から帰った兵隊から、日本兵が中国でいかにひどいことをしたか
②配属将校から、ノモンハンは負け戦であると教えられたことで、こんな戦争は止めなければならない、戦争に反対しなければと思い、そのためにマルクスを必死で勉強された事
③その当時、マルクス研究が盛んで、阪大生等は、戦争が終わった時、マルクスの事を知らんかったと仰られてたこと
④昭和14年大阪商大の予科に入った前年には古本屋からマルクス主義の本がかっさらっていかれたため、授業中にせっせと本を写し取った事
⑤ドイツ等では、日本の治安維持法のような悪法による犠牲者に対し、政府が謝罪し、賠償金を支払っているが、日本はやっていないどころか、戦後も残そうとしたいう事実
などです。治安維持法で逮捕・投獄されていた時のお話しも70年以上も前の話とは思えないぐらい、臨場感がありました。
治安維持法が制定されたのは、1925年ですが、1920年代の日本は第1次世界大戦後の不況期であり、社会主義ソ連が成立し、国民の民主化を求める声の増大の中で、政府はこの年に普通選挙法と抱き合わせで、天皇制と私有財産制を守り、社会主義・共産主義の思想が国民の間に広がらないよう、思想統制を強める必要があったため治安維持法が必要だったと思われます。では、今なぜ「共謀罪」が出来たのでしょうか?私はやはり歴史から学ぶ必要を感じます。今の日本経済はもはや1960年代の高度経済成長の時代とは違い、戦争経済につき進まないと持たなくなっているのでないでしょうか?そのためには、反戦・平和の思考が国民の間に浸透していくことを抑える必要があります。「共謀罪」と聞いて私が真っ先に思うのは、沖縄の辺野古のキャンプシュワブ前で座り込みをしている人々です。そのような運動をしている人々の行動を抑え込むことに対して必要で、「テロ」を封じ込めるためではないという事です。私は林先生のお話をお聞きして、世の中の事を経済を軸にして見ていく必要性を、改めて強く感じました。我々にとって最も大事な、内心の自由や思想信条の自由を成約されないためにも、監視社会が広まり、隣りにいる人を信じられなくなる社会が来ないよう、諦めずに頑張っていかなければと思いました。林先生のようにマルクスを研究しただけで投獄されるような時代が繰り返されないためにも。
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